息子を出産したばかりの妻を亡くし、20キロ激ヤセ…清水健アナが退職した理由に涙が止まらない【引用kwsklife】

ようよう 02/02/2021 00:53 告発

息子を出産したばかりの妻を亡くし、20キロ激ヤセ…清水健アナが退職した理由に涙が止まらない…

読売テレビのエースアナに成長した清水健アナウンサー

大阪・読売テレビに2001年に入社した清水健アナウンサー。愛称はシミケン。

入社直後から『どっちの料理ショー』に出演して知られる存在となり、2011年の秋から、平日夕方のローカルニュース番組『かんさい情報ネットten!』のメインキャスターに抜擢されました。

キャスター就任後には視聴率を伸ばし、関西の夕方の顔になり、読売テレビのエースアナへと成長しました。

プライベートでは2013年5月に番組のスタイリストとして働いていた奈緒さんと結婚。

翌2014年3月には奈緒さんの妊娠がわかり、順風満帆の人生を歩んでいるかのように見えました。

妊娠中の妻に乳がんが見つかる

ところが妻の奈緒さんの妊娠が判明した直後、乳がんが発見されます。

医師からはお腹の赤ちゃんを諦め、治療を優先するよう勧められました。

しかし清水健夫妻が出した結論は「子どもも治療も諦めない」でした。

奈緒さんは乳がんの手術を行い、2014年10月には男の子を無事出産。

出産後、奈緒さんはがんの治療に専念しますが、病魔は奈緒さんの全身を蝕んでいました。

清水健アナは2015年2月2日からメインキャラクターを務める『かんさい情報ネットten.』を「家族の介護」と発表した上で休養にはいります。

もちろんその家族とは妻の奈緒さんのことですが、その当時は読売テレビの上層部と親交があるタレントの一部しか詳細を知らされていなかったといいます。

清水健アナの献身的な看護も届かず、2月11日に奈緒さんが29歳という若さで帰らぬ人となりました。

葬儀では生後三ヶ月の息子を抱きながら喪主を務めた清水健アナは喪主のあいさつでこう述べています。

「ちょうど1週間前、『まだまだいい妻でいたい、いいママでいたい』と言っていました。『胸を張って、いい妻だったよ、いいママだったよ』と言ってやりたいと思います」

「悔しい思いでいっぱいだったと思います。ただ、これがピリオドだとは思っていません。この子の成長を、奈緒と一緒に…。皆さま、見守っていただければ幸いです」

結婚からは約1年9ヶ月、奈緒さんがママでいられたのはわずか112日でした。

奈緒さんの死去から8日後の2015年2月19日、『かんさい情報ネットten.』のメインキャスターに復帰した清水健アナは冒頭で視聴者に向けてあいさつしました。

「今日から復帰します。皆様の温かいご理解のもと、妻を見送ることが出来ました。今日からまたニュースと向き合い、しっかりとお伝えします」

当時の清水健アナの憔悴ぶりは痛ましいほどだったとか・・・

清水健アナには同様の境遇を経験した人々からメッセージが寄せられ、それに対して丁寧に返信を送り返す姿が逆に心配されるほどでした。

読売テレビ退職を決意

同じ境遇の人とコミュニケーションを取る中で自分に何ができるかを問い始めた清水健アナは奈緒さんの一周忌にあたる2016年2月に『112日間のママ』を出版します。

『112日間のママ』は発売1ヶ月で10万部を超える売上を記録し、その後も売れ続け15万部を超えるベストセラーとなりました。

清水健アナはこの本で得た印税で清水健基金を設立し、入院施設の充実やがんの撲滅や難病対策などに取り組む団体や個人を支援する活動を始めました。

まだ幼い息子の子育てと月曜から金曜の夕方のメインキャスターという仕事を両立させながら土曜・日曜にはがん患者とその家族へ向けた講演会で全国を飛び回るようになります。

「“せっかくお話をいただいているのだから”と条件さえ合えば講演の依頼は基本的に断らない。ただ、あまりの多忙に顔色が優れない日も多く、“テレビに出られる顔してる?”と周囲に聞くこともありました」

引用元:https://kwsklife.com/ken-shimizu-annawife/,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]

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